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商品案内 ご覧いただきありがとうございます。 かつて新潟県新潟市の白山前駅と燕市の燕駅とを結んでいた、新潟電鐵の路線案内です。電鐵開通が昭和8年で、こちらの路線図も同年発行ですので、広く利用をPRするためのパンフレットではないかと思います。 鳥瞰図はカラーで沿線の新潟市や燕市の主な建物や産物などが描かれています。 作者の銘は「高光」とも読めますがわかりません。 90年以上前の出版物で極めて貴重です。 商品は経年のしみなどが若干ありますが、大変いい状態です。 蒐集家の方にお譲りしたいと考えております。 家庭内長期保管品ですので、ご理解いただける方のご購入をお願いいたします。 ※値引き交渉は金額提示の上お願いいたします ※常識の範囲内で対応させていただきます (参考)歴史 (from Wikipedia) かつて新潟市周辺の信濃川・阿賀野川下流域では「河川蒸気」と呼ばれる汽船による水運が盛んに行われていた。信濃川の支流で、現在の燕市から新潟市黒埼地区の間、白根地区を挟んで西側を分流する中ノ口川にも河川蒸気が運航されていた。しかし1922年(大正11年)に大河津分水路が開通し、信濃川下流域の水量は大幅に減少。更に取水堰の陥没によって水位が減少して水運が困難となったため、その代替として建設されたのが、当時の新潟電鉄線(にいがたでんてつせん)である。越後大野以南はほぼ全線に亘って中ノ口川の左岸側に沿っていたことからも、河川蒸気の代替手段であったことが窺える。 1933年(昭和8年)4月1日の東関屋 - 白根間を皮切りに順次開通し、同年8月15日に全線が開通した。燕市から西蒲原郡中之口村、月潟村、味方村、黒埼町と、対岸の白根市から新潟市街地を結ぶ重要な交通として、沿線住民の足となり、また周辺町村からは米や野菜などの農作物が、燕からは金物・食器などが輸送され、沿線住民からは「電鉄」の愛称で親しまれた。新潟電鉄は1943年(昭和18年)暮れ、戦時統合により新潟合同自動車などと合併し、会社組織は新潟交通となった。 #鳥瞰図 #昭和初期 #新潟県 #新潟市 #鉄道 #私鉄 #路線図 #交通 #ほかの鉄道書はこちら #こだわりの旅行ガイド・地図はこちら
商品の情報
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かつて新潟県新潟市の白山前駅と燕市の燕駅とを結んでいた、新潟電鐵の路線案内です。電鐵開通が昭和8年で、こちらの路線図も同年発行ですので、広く利用をPRするためのパンフレットではないかと思います。
鳥瞰図はカラーで沿線の新潟市や燕市の主な建物や産物などが描かれています。
作者の銘は「高光」とも読めますがわかりません。
90年以上前の出版物で極めて貴重です。
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(参考)歴史 (from Wikipedia)
かつて新潟市周辺の信濃川・阿賀野川下流域では「河川蒸気」と呼ばれる汽船による水運が盛んに行われていた。信濃川の支流で、現在の燕市から新潟市黒埼地区の間、白根地区を挟んで西側を分流する中ノ口川にも河川蒸気が運航されていた。しかし1922年(大正11年)に大河津分水路が開通し、信濃川下流域の水量は大幅に減少。更に取水堰の陥没によって水位が減少して水運が困難となったため、その代替として建設されたのが、当時の新潟電鉄線(にいがたでんてつせん)である。越後大野以南はほぼ全線に亘って中ノ口川の左岸側に沿っていたことからも、河川蒸気の代替手段であったことが窺える。
1933年(昭和8年)4月1日の東関屋 - 白根間を皮切りに順次開通し、同年8月15日に全線が開通した。燕市から西蒲原郡中之口村、月潟村、味方村、黒埼町と、対岸の白根市から新潟市街地を結ぶ重要な交通として、沿線住民の足となり、また周辺町村からは米や野菜などの農作物が、燕からは金物・食器などが輸送され、沿線住民からは「電鉄」の愛称で親しまれた。新潟電鉄は1943年(昭和18年)暮れ、戦時統合により新潟合同自動車などと合併し、会社組織は新潟交通となった。
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